共愛学園高等学校

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共愛学園の歴史

年表

明治21年、共愛学園の歴史は始まります。

1888年(明治21年)、前橋英学校の女教師、不破きよ・村山ゆき・笹尾縫らの呼びかけで始まった女学校設立の動きは、 深沢利重・高津仲次郎・湯浅治郎・不破唯次郎ら教会有志の協力により、前橋英和女学校としてその実を結びました。 新島襄の助力、地元之諸教会の支え、アメリカン・ボード宣教師の協力もあり、その基礎が固まりました。

以後、多くの人々の期待と支援に支えられながら、 現在の幼稚園・保育園・中学校・高等学校・大学を擁する総合学園として発展し、数多くの卒業生を送り出し、120有余年の歴史をこの群馬の地に刻みつけてきました。

共愛学園の創立

明治10年代後半の英学ブームの中から生まれた前橋英学校(1886年、校主加藤勇次郎、設立者高津仲次郎)は1888年に入ると経営難もあってか閉校となるのですが、このとき同校の女教師不破きよ・村山ゆきは笹尾縫等と語らって、英学校に在籍の女生徒救済と女子の中等教育のため女学校設立に立ち上がりました。

これを受け、高津仲次郎・関農夫雄・深沢利重等は同年2月29日夜、市内横山町鍋屋旅館で資産の譲渡と女学校設立の会合を開きますが、保安条例違反で前橋刑務所に一週間拘引されることになります。これがいわゆる鍋屋事件です。

学園はこの日を後年、創立記念日とし、今日まで守り続けてきています。

女学校設立には多額の資金を必要としたため、同志社出の不破唯次郎(不破清の夫・熊本バンドの出身・前橋教会牧師)は廃娼運動で知られる勇猛果敢な上毛青年会有志への呼びかけや上毛基督教婦人会等の県下のキリスト者を糾合する一方、恩師である新島襄にも相談をし、他方ボードのD.C.グリーンやJ.H.デホレストにも協力を依頼していました。そして、同年6月11日、不破唯次郎の名前で「私立女学校設立御伺書」が佐藤与三知事に提出され、同月21日付をもって認可されました。

ここに共愛学園が「前橋英和女学校」の名称で市内南曲輪町24 番地(現大手町2丁目8番曲輪町公民館跡)にスタートするのです。その年の10月には「目下生徒数40数名に上がり、旭日東天に跳ねるの勢いとなれり」と当時の基督教新聞がその滑り出しの順調さを報じています。

翌89年には上毛基督教婦人会から150円のレプタの献金を得て、手狭な曲輪町から旧校地岩神の地に移転、以来、校名も上毛共愛女学校、共愛女学校、共愛学園とかえながら同地で100年以上もの歴史を刻むことになるのです。その後、更に、創立110周年には現小屋原校地に大移転するのですが、たとえ、この間の学園の歩みがたどたどしいものであったとしても、創立後110年を経過した今日迄本学園が歩み通せることをいったい何人が予想しえたでしょうか。

人の思いを超えた神のみ業と共に、歴史のずっしりとした重みが創立の由来を通して伝わってくるのです。

1886年 前橋英学校の設立許可
設立者 高津仲次郎
校主 加藤勇次郎
1887年 前橋英学校を前橋南曲輪町24番地に移転
1888年 前橋英和女学校を前橋南曲輪町24番地(現在の大手町2-8番地)に設立許可
初代校長に不破唯次郎(前橋教会牧師)就任
1889年 校名を上毛共愛女学校と改称
前橋岩神村494番地に移転
1892年 上毛共愛女学校第一回卒業式
この年アメリカン・ボード宣教師館(東館)[現学園所蔵]建設
1925年 本科卒業生を高等女学校卒業生と同等以上の実力を有する者と文部省より認定
1939年 共愛幼児園開設
1944年 学則を改訂し高等女学科の設置決定
幼児園を付設経営とする
1945年 前橋大空襲のため、学園の校舎・諸施設焼滅
周校長による再建作業始まる
1947年 理事会で中学・高等学校併設を決定
幼児園再開入園式
1978年 創立90周年記念式典
英語科の設置認可
1988年 共愛学園女子短期大学を設立
創立100周年記念式典
1990年 普通科カリキュラム改訂
理数コース・文Ⅰコース・文Ⅱコースを設置
1998年 中学・高等学校小屋原新キャンパスに移転
中学・高等学校制服を改正し、ボルドー色に変更
1999年 共愛学園前橋国際大学(男女共学)の開学
2001年 中学・高等学校男女共学化
2004年 法人名を「共愛社」から「共愛学園」と変更
英語科に特進コースを設置し、英語科2コース(特進・進学)、普通科3コース(文科・総合・理数)とする
2010年 普通科を改編し(特進コース・進学コース)の2コースとする